GSSS(郡上白鳥シルバースターズ)の足跡

令和7年
(2025)

    
2月24日 GSSR役員会、各務原・ちとせ、瀬木、角が出席。
3月2日 GSSR新年総会、美濃観光ホテル、瀬木、角、岡田、杉山が出席。今年度の方針決定。
3月7日 岐阜新聞社表敬訪問。報道部と事業部へ基本資料届ける。瀬木、藤吉。
3月23日 暖かく好天の諏訪山Gで開幕。シニア選試合で熱戦の火ぶたは切られた。
いよいよソフトの開幕である。朝5時半に起床、7時に白鳥を出発。諏訪山での開幕。
今日はシニアの部で若い選手が沢山いるのでユニフォームは着ない事にして、
ジャケットで向かう。
9時に開会式。今朝の新聞で世界の幸福度の記事があり、それを参考に話す。
幸福度の高い国は北欧勢で台湾が27位、日本は55位。幸福度の条件は長寿であること、
経済的にある程度は恵まれている事。そして相手を思いやる心、優しさが求められる。
日本がだめなところはここであるらしい。自分さえよければと言う人間が多い様だ。
ボランティア精神の欠如と言えるか、ボランティアも多いように思えるが、
どうやら一部の人の様だ。
全国民となるとその意識は低い様だ。拝金主義の意識が高いようではだめだ。
ソフトでも相手チームを尊敬し、試合が出来るのは相手がおればこそである事をしり、
汝の敵を愛する心を持って挑むべきだと挨拶する。始球式を頼まれたが下手投げは全く
自信がないので急遽練習をしたが、更に自身は消えたので、マウンドのかなり前から
投げる事にした。何とかアウトコースぎりぎりに届いた。
第一試合は中津川シニア。先発は空―岩垣バッテリー。快調に飛ばして快勝した。
打線も活発で、練習をろくざましていないのによく打った。
岐南から小沢選手が入り、彼も最終回投げて、打撃も良かった。
第二戦は宿敵シルバー岐阜。名前負けしたのか、守りがボロボロ!内野ゴロがほとんど
とれない、こんなみっともない守りは初めて見た。俺以下だ!打つ方もボールを迎えに行き
タイミングは全く合わない。ボールが来ないのに早打ちスイング。
前の試合とは別人の奴ら共。結論的には練習不足のなにものでもない!
心して練習に出て来い!
道場が無くなり、反省の酒盛りをするところがなく解散。
昼頃、白鳥の郡上丸池の裏へヘリが墜落の報がラインではいる。
3月29日    大和学習センターグランド、水はけが悪く、メンバーにて補修作業。砂、砕石を投入。
本来なら行政がやる仕事を我々が身銭を切っての仕事である。地域はかくあるべし!
 
 
 
 
 
 
3月30日 大和学習センターでハイシニア戦の開幕4試合。
急に冷え込んで油坂は雪が舞っている。
7時半に大和の学習センターグランドへ行く。白線を引き、グランド造り。
ハイシニア4チームが集まり戦った。助っ人は岐南から3人が来た。全員先発出場。
初戦は宿敵シルバー岐阜。先週と投手は同じ岡田だったが、今日はよく打った。守りも比較的固く、先週が
嘘みたいだった。終わってみれば10:1の楽勝ゲーム。空も好投した。
俺は最終回に代打で出て、サードの後ろに落ちるポテンヒット。
その後も代打竹下がライナーでレフト前に運び、84歳、85歳の連打だった。
二戦目はグレートベアーズ。楽勝かと思いきや苦戦。俺はセカンド9番で先発。サードごろエラーで出塁して
二塁まで進む。結局3;2でかろうじて逃げ切った。投手は雪野が粘り強く投げ、守りもだいぶ落ち着いてきた。
飲むところがなく反省会はなし。これではいかん。どこかで交流が出来るところがないと。