白鳥神社 祭神
 伊弉冊尊、日本武尊
宝物
 鉾鎌、短刀、等。
由緒
  古木に囲まれた白鳥神社は、西暦190年代、古事記に出てくる仲哀天皇の頃 、一羽の大白鳥飛んできて、森の木にとまり休んだ。これが古木の森となる。
 この鳥が落とした一枚の羽根は、日本武尊の霊に違いなとして、箱に入れて岩 の上に祀り、この地を”白鳥”と命名した。
 その後、720年代に、泰澄大師が都からの帰途、和田川(中津屋)を渡り、広い 野原にさしかかると、一羽の白い鳥が舞い降り、女神に変身して曰く。
 「この先五十町あたりに聖地がある、そこに仏道修行の場所を作りなさい」と。
 大師はそこに一社を建立し、伊弉冊尊を祀った。
 そこを白鳥社とし、別当白鳥寺を造営した。
 後年、足利時代(1460年頃)に、そこの地頭が外田地区に七反の田を寄付し、 今の境内の基礎となる。
 白鳥寺は天正時代 の末(1590) 頃まで存在したが、その後、廃寺となる。
 
本殿
 西暦1852年に、越前の名工、大久保吉右衛門によって再建された。
 明治四十年四月三日、明治の大火は拝殿は焼き尽くしたが、本殿への類焼は  免れた。
彫刻
 本殿の彫刻は、尾張の名匠、瀬川治助重光の”立川彫”。
 平成十八年の調査で、貴重なものであることが判明。
 平成二十年、本殿と彫刻は、郡上市の重要文化財の指定となる。
氏子
 かつては白鳥町の他に、旧河合村、山田村、弥富村にわたり広範囲だった。
 例祭日は九月十七日、十八日と決められていた。
 現在の例祭日は九月の第四土曜、日曜日である。
欅の森
 境内は約3000坪、周囲3〜6mのけやきの巨木数本を始め、イチョウ、クリ、  杉、桧、松、シデ、エノキ、柿、百日紅等、二百数十本の樹木は森厳を極め、県 の天然記念物に指定されている。